スタートラインを超えたら勝者 〜応援の声に思うこと〜 

一般ランナーは、自分との戦い。エントリーサイトで申し込みボタンをクリックするところから、自分との戦いは始まっている。

「寒いな」「雨降ってるな」「寝不足だな」「今週は、仕事が忙しかったな」「昨日、呑みすぎたな」「脚痛いな」

トレーニングをしない言い訳はいっぱいある。トレーニングをしない誘惑もいっぱいある。

そんな中、各自のペースで、大会に合わせてトレーニングを積んできたはず。やめようと思えば、いつでも辞められたはず。当日、会場に来ないという選択肢もあったはず。故障で、止むを得ずDNSも選んだランナーもいたはず。

でも、自分との戦いに勝ったランナーは、スタートラインに立ち、号砲と共に走り出す。

私は、一般ランナーは「スタートラインを超えたら、自分との戦いの勝者」だと思う。

そして、大会は「トレーニング成果発表会」。練習したこと以上の成果は出せないし、練習した成果も出し切ることができないかもしれない。順位なんて関係ない。もちろんタイムが良いに越したことないけど、こだわり過ぎなくてもいい。そこに、勝者も敗者もない。

と、私は思います。

勝手に「トレーニング成果発表会」をしている私たちに、ボランティアの方々は大会運営を手伝ってくれます。沿道の方々は暖かく見守ってくれます。応援は力になる。「nice run!」は、力になる。「頑張れ〜!」も力になるけど、終盤は辛いときもあるかな😅。他にも、多くの力になる応援を頂いた。感謝感謝です🙏

今回のレースの終盤に聞こえた、一つの声援。

トレーニングした日焼けした肌を揶揄するような、ひときわ大きな声が聞こえた。ひょっとして、気のせいかもしれない。聞き間違えだったかもしれない。背中で聞こえた声なので、自分に向けられた応援ではないかもしれない。近くを走っていた「声援主の仲間」に向けた、「応援」だったかもしれない。他の走者に対する声援であったとしても、不快な気分になった。

昨年の箱根駅伝で、駒澤大学の大八木監督が発した「漢だろ!」が話題になりました。走者に奮起を促す声かけです。これは、大八木監督と選手の「信頼関係」と「リスペクト」があるから、奮起につながる声かけになる。力になる。

「信頼関係」がなかったら、「リスペクト」を感じなかったら、自分と向き合って懸命に走っているランナーはどう思うのでしょうか?

応援している方は奮起を促しているつもりかもしれないけど、「信頼関係のない」「リスペクトのない」応援は、自分と向き合って走っているランナーにはどう聞こえるのだろうか?

自分は、「罵声」「煽り」などネガティブに聞こえてしまった。

こんなことを考えたのは、この1件だけ。

多くの応援は、力になる温かい応援でした。

自分が沿道で応援する立場になった時、持てる力を出し切ろうと歯を食いしばって走るランナーに、力になる応援を贈りたい。そう思った出来事でした。

(コロナ禍での開催・出場・応援の賛否については、控えさせていただきます。ごめんなさい🙇‍♂️)